2021-04-20 第204回国会 衆議院 文部科学委員会 第11号
残念ながらこれは実現しませんでしたが、アインシュタインがノーベル賞を取りました直後の一九二二年には、来日された折に本学を訪問して、愛知敬一あるいは本多光太郎といった本学を代表する教授たちと面談をしているところでございます。このスピリットが今でも生きているということでございます。 第二の、門戸開放に関しましては、一九一三年に、本学は我が国の大学で初めて、女子学生を三名、入学を認めてございます。
残念ながらこれは実現しませんでしたが、アインシュタインがノーベル賞を取りました直後の一九二二年には、来日された折に本学を訪問して、愛知敬一あるいは本多光太郎といった本学を代表する教授たちと面談をしているところでございます。このスピリットが今でも生きているということでございます。 第二の、門戸開放に関しましては、一九一三年に、本学は我が国の大学で初めて、女子学生を三名、入学を認めてございます。
理化学研究所についてお伺いしたいんですが、これは私は賛成の立場なものですけれども、これは、過去にもうすばらしい先生方が、長岡半太郎先生、本多光太郎先生、鈴木梅太郎先生、湯川秀樹先生、朝永振一郎先生、こういう先生方がもちろんノーベル物理学賞を受賞されたり、もうすごくこの国の、私たち今こうして世界の中でトップクラスの教育を受けていると言われるぐらいの国にもなったわけですが、これ設立されたのは、長岡半太郎先生
ところが、後で見れば、東北大学というのは、産学協同を早くから実施した本多光太郎、八木秀次両先生のお仕事なぞがあるわけでございます。 決して自分が初めて始めたわけではございませんが、先輩教官に、大学の外に研究所をつくって産学協同をやれということを命ぜられました。ばか者でございますから、それにうっかり乗ったのが運の尽きで、大変な苦労をしょうことになったわけでございます。
というのは、私はかつて大学生のころよく私がいた大学のことを言われたのですが、本多光太郎さんがいて、全国で、その学部だということで、ほかにもいい大学はたくさん帝大であるのだけれども、むしろそのためにのみ来る学生が非常に多かった。このごろそういう特色がなくなってきたのですね。ただ頭のいいやつはここの大学に行けというような、順番で行ってしまうようなことになってしまっている。
かつ昔から本多光太郎先生以降の伝統がございまして、いろんな金属関係の会社が地元で設立されまして、中堅企業が今立派に東北でやっておられる実例もございます。そういうようなことを私どもとしては期待をしておるわけでございます。
例えば半導体と対応するフェライトの発明が東工大の武井さん、マグネットで言うと本多光太郎のKS、三島徳七のMK鋼、それからテレビの高柳さん、マグネトロンの岡部金次郎さん、あるいは磁気テープ、今のテープレコーダーの方式というのは東北大の永井健三さんがやっているわけ。それから光ファイバーの研究は東北大の西澤さんというぐあいで、昔は相当にやっているわけです。
一九一七年、東北大学教授でありました本多光太郎先生がKS鋼をつくって発表なさいました。このようなことをずらりと並べたものでございます。 こういう表をつくってみまして私自身が大変驚いたわけでございますが、白丸がついておりますのは当時東北大学職員であった先生方のお仕事でございます。それから黒丸が東北大学を卒業してどこかに行かれた方のお仕事でございます。
データをとっても、それがどう使われているかということが、やはりコンピューターと違って人間がやることですから、自分たちの出したデータがどう使われているかという、そのフィートバックがなければ――これは私、東北大学の金属材料研究所、あの現在世界最大といっていいほどの規模の研究所で、文化勲章を何人かの人が受章しております中のあの分析室というものを、終戦後しばらくまかされていたことがありましたけれども、あの本多光太郎先生
こういうものに対して私は考えておるのですが、その薬の公害などもそうでありますが、やはりかつて理化学研究所がございましたように、本多光太郎、鈴木梅太郎さんとか斯界の泰斗がおられて、当初も民間でも全部これが総合的に系統的な勉強ができたわけですが、このごろは大学もみんなばらばらになっているという感じがしないでもないのです。
なお、賞金というと何か多少うしろめたいことがあるやのお話でございますが、賞金と申しましてもいろいろあるわけでございまして、恩賜賞、ノーベル賞から始まりまして、学士院賞、芸術院賞、その他藤原科学財団から交付されております藤原賞だとか、あるいは本多光太郎記念会から交付されております本多記念賞とか、いろいろな学術上、芸術上の賞金がほかにもたくさんあるわけでございますが、これをお受けになる場合は、私どもの拝見
私はたまたま本多光太郎さんと郷里が一緒だものでございますから、私たちのようなものも日ごろ接触しておるというと、いろいろわからぬことも教えられて、そして啓発されたわけであります。八月にはいよいよ予算のときになりますので、齋藤委員がいま言われたことで、予算の時期というようなこともありますから、私たちも徹底的に御協力申し上げますから、ぜひお手抜かりなく——いままであまり相談を直接は受けておりません。
たとえば本多光太郎先生がおつくりになって、そのあとのあそこの研究者が、方向をきめられたものに向かって、もう突っ込んで研究をしていくというような場合がございます。そういうような例は日本には、残念ながら、あまり多くないのでありますけれども、外国の例なんかも話を聞きますと、そういうときになりますと、上下の信頼関係が非常によくできて、そして、先輩の人はよく経験もあるし、よく知っている、あの人に学ぼう。
参 事 (事務次長) 河野 義克君 参 事 (委員部長) 宮坂 完孝君 参 事 (記録部長) 丹羽 寒月君 参 事 (警務部長) 佐藤 忠雄君 参 事 (庶務部長) 渡辺 猛君 法制局側 法 制 局 長 奧野 健一君 ————————————— 本日の会議に付した事件 ○故本多光太郎君
本多光太郎博士が御逝去されましたので、本院より弔詞を呈したい。こういうことを議題にいたします。 先ほど理事会を開きましてこの問題につきまして理事各位からいろいろ御意見がありました。全会一致を以ちまして院議を以ての弔詞を贈呈するということに理事会は決定をいたしました。理事会決定通りお認めを願うことに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
午前十一時五十九分散会 —————・————— ○本日の会議に付した事件 一、故本多光太郎君に対し弔詞贈呈の件 一、日程第一 議員派遣の件 一、千葉県豊海町における米軍の漁船威嚇射撃に関する緊急質問
去る十二日、金属物理学界の世界的権威であられました本多光太郎君が逝去せられました。誠に痛惜哀悼の至りに堪えません。つきましては、同君に対し、院議を以て弔詞を贈呈することとし、その弔詞は、議長に一任せられたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
議長において起草いたしました本多光太郎君に対する弔詞を朗読いたします。 参議院は、日本学士院会員 東北大学名誉教授 文化勲章受領者 理学博士 正三位勲一等 本多光太郎君 の長逝に対しまして、謹んで哀悼の意を表し、恭しく弔詞を捧げます。 —————・—————
御承知のように本多光太郎博士が設立したものでありますが、この金属材料研究所も、今まつたく研究の機能を停止しておるわけであります。その他電氣試驗所、通信研究所、あるいは傳染病研究所その他あらゆる研究所が現在解体またはストップしておるわけであります。